過去は記憶の中で生きていく-思い出の場所が消えた街-
思い出の場所を久しぶりに訪れると、過去の記憶が鮮明に思い出される。
誰しもが経験があることだろう。
友達や恋人や家族と一緒に過ごした場所。
よい出来事もあれば辛い出来事もあったかもしれない。
だけど、良いも悪いもすべてが人生での大切な思い出であることには違いない。
そんな僕にもある思い出のある場所が、僕の育った街から消えた。
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年末年始に地元である神戸に帰省した。
神戸の中心駅である三ノ宮駅周辺を散策した。
神戸の街は、1995年1月17日の阪神淡路大震災によって大打撃を受けた。
阪急三宮駅は崩れ再建されたし、JR三ノ宮駅隣にある旧神戸新聞会館ビルは崩壊し新しく商業施設ビルが建築された。
その他も市役所ビルが崩れたり、雑居ビルが根こそぎ倒壊したりした。
その一方で、隣のビルが倒壊していたりするのに、ほぼ無傷のビルも多くあった。
僕が小学生から高校生の頃に通ったビルや図書館もそのほぼ無傷のビルの一つだった。
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「さんぱる」というビルには僕が子供の頃にはジュンク堂書店が2フロアにわたってある巨大な書店があった。
参考書や専門書なども多く取り揃えてあってよく通っていた。
当時好きだった同級生の女の子もよくこのジュンク堂を見かけることがあり、偶然見かけたときの嬉しい感情はよく覚えている。
また、小学生の頃は「さんぱる」に入っていた英会話スクールにも通い、初めて外国人先生とコミュニケーションを取れて嬉しかった感情を覚えている。
「さんぱる」ビルの隣には図書館があり、家族でほぼ毎週通っていた。
絵本や紙芝居を読む小さな頃から小説などを読む高校生まで、家族と自分の思い出の場所だ。
ちなみに、この図書館に先ほどの「当時好きだった同級生の女の子」も家族で来ているのを小学生時代は見かけることがあった。この頃はまだ彼女に対して好きという感情は芽生える前だった。
そんな嬉しい感情や家族との思い出の場所である「さんぱる」と図書館がある一帯が、再開発のため、解体された。
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年末年始に「さんぱる」と図書館があった場所に行くと、工事の塀で囲われていた。
その場には「さんぱる」も図書館の面影も全くない。とてもショックだった。
思い出が崩されて消されてしまったような感覚。
1995年の阪神淡路大震災で三ノ宮駅周辺が崩壊した様を見たときも大きなショックはあったけど、その時は多くの人その悲しみや寂しさを分かち合えた。そうやって喪失を乗り越えっていった。
ただ、「さんぱる」と図書館の建物が全て解体された様子を悲しみや寂しさを分かち合う人がこの場にない。
不思議なくらい胸が締め付けられた。
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僕は2024年現在、40代後半の中年といわれる年齢だ。
それなりに出会いと取得もあれば、別れと喪失もあった。
少しくらいは人生とは「出会いもあれば別れもあるよ。喪失だってある」ものだと言えたりするくらいの経験はある。
だけど、自分だけの思い出の場所が丸ごとなくなることは、喪失の中でもまた特別な喪失感があった。人生での新しい感情だった。
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これまで久しぶりに「さんぱる」や図書館に訪れると蘇る過去の記憶はもうない。
過去の記憶の中で「さんぱる」や図書館の姿と思い出を生かしていく。
2024年1月1日に令和6年能登半島地震が発生し、多くの命が奪われると共に津波によって街が崩壊した。
被災した方々にとっての思い出の場所は、もう同じ形では元通りにはならない。
それでも、周囲の人たちと悲しみや寂しさを分かち合うことで、乗り越えていける。
周囲の人たちと分かち合えない特別な場所の思い出は、過去の記憶の中で大切に生かし続けることになるし、生かし続けてほしい。
この度の令和6年能登半島地震で被災された方々の復興を心からお祈りしたい。