過去と現在ときどき未来

過去と現在ときどき未来について感じたことを感じたままに

人生最初の「死ぬかと思った」記憶

子供の頃の「はじめて」の記憶。

嬉しかったことよりも、辛かったことや悲しかったことや恥ずかしかったことの方が鮮明に覚えてはいないだろうか?

僕は、人生最初の「死ぬかもしれない」と思った記憶が40代である今も鮮明にある。

幼稚園の頃の話だ。

登園後、教室に入る前のちょっとした自由時間でのできごと。


当時の僕は、園内にいる池の鯉に興味を持っていた。
大きな鯉がゆっくりと泳ぐ様子が珍しかったのだろう。
あと、生きた魚を上から眺めるのが面白かったように感じていたような気もする。

そして、僕は池そのものにも興味を持っていた。

鯉が泳ぐ池は底が見えないくらい暗かった。
永遠に底がないように思え、池に興味と少しの恐怖心みたいなものがあったことも覚えている。

そんな興味を持つ鯉と底なしに思える池をもっと近くに見ようと、僕はかがんで池をの覗き込んだ。その時事件は起こった。

背中に背負っていた登園リュックが背中から頭の後頭部にずれたのだ。
リュックで頭が重くなった僕は、そのまま頭から池へダイブした。

池へダイブした僕は、必死で水面へ顔を出し慌ててバタバタした。

顔の近くにはあの鯉たちが僕と同じく慌ててバタバタしている。なぜか僕は、この状況をスローモーションの映像で鮮明に覚えている。
バタバタしているのだけど、一つ一つの動きがとてもゆっくりで、鯉と目があったことも覚えている。


そして僕は、その状況で人生で初めて「死ぬかもしれない」と感じた。
このまま底なしの池へ沈んでしまのかもしれないと思った。

そして、おそらく人生で初めて言葉の通り死ぬほど「必死」になったのもこの時が初めてだったと思う。水面に顔を出し息をしようと必死だった。

気が付くと僕は大人たちによって池から救出され、一命を取り留めた。
ちなみ、その底なしの池は、園児が立てば、顔がでるくらいの浅さで溺れることはない程度の深さの池だった。

とにかく、そんなことは知らない僕は泣きはしないが、九死に一生を得た面持ちでいた。そして、まだ始まった一日だが、憔悴していた。

ただ僕は、憔悴していた割には、その後、帰ることもなく幼稚園での一日をいつも通りに過ごしていたようだ。ただ僕の記憶では疲れ切っていたので、表向きと心の中が違ったのかもしれない。


この池に落ちたことで「死ぬかもと思った」と同時に、「恥ずかしい」と思ったことも鮮明に覚えている。何に恥ずかしいと思ったかというと、ずぶ濡れになった服を幼稚園管理の代わりの服に着替えて、その服でその日を過ごしたことだ。

自分の服ではなく幼稚園管理の服へ着替えたことで「やらかした」ことを実感し、とても恥ずかしいと思ったのだろう。

幼稚園の出来事の中でも強烈に記憶に残っている出来事だ。